書評:島薗進『つくられた放射能「安全論」論』(河出書房新社、2013年)
2013-04-29


島薗進『つくられた放射能「安全論」論』(河出書房新社、2013年)を読む。

 2011年3月11日の東日本大震災による悲劇の一つは、福島第一原発のメルトダウン、大量の放射能漏出で多くの住民が被爆・避難を余儀なくされたことである。この事故直後、政府や原子力安全委員会(当時)等は、大事には至らない、チェルノブイリ事故以下の事故であると主張したが、やがて史上最悪の事故であることが判明した。しかしその後も、「低線量放射線による被曝のリスクは年間100mSv以下では科学的に証明できない」ので、子供でも「20mSv/年ならば許容できるぐらい低い」という低線量被爆の危険性を否定し36、福島にとどまって頑張ろうなどという主張が、放射線の専門家からも繰り返された。
 宗教学者であるが医学を志したこともある著者は、こうした事態に疑問を感じ、どのような人物および集団が、如何なる背景と意図で、安全言説を流し続けているのかを、著者の人文学的リテラシーを応用して解明しようとしたが本書である。

 中川保雄『放射線被曝の歴史』(技術と人間、1991年。明石書店、2011年再版)を手がかりに、さらに80年代以降の放射能影響研究所(放影研)、電力中央研究所(電中研)、放射線医学総合研究所(放医研)、長崎大学医学部、笹川チェルノブイリ医療協力などの動向を精査した37。そして、これらの機関が広島・長崎のアメリカによる原爆被害調査機関ABCCを引き継ぐ国内機関であり、疫学調査はするが治療はせずという基本姿勢に貫かれていること、さらにそれらに共通する人物たちが、現在も政府の原子力政策や放射線被爆問題に深く関わり、安全・安心言説を流し続けていたことを突き止めたのである。
 それが山下俊一(長崎大医学部卒。長崎大教授。福島県放射線健康リスク管理アドヴァイザー、原子力安全委員会(当時)委員、朝日ガン大賞受賞2011年9月)34であり、その師匠筋になる重松逸造(東京帝大医学部卒、海軍軍医、元放射能影響研究所理事長:放影研)、長瀧重信(東大医学部卒、長崎大医学部長、放影研理事長等を歴任。低線量被爆のリスク管理に関するワーキンググループ座長)、神谷研二(広島大学原爆放射線医科学研究所所長、福島医大副学長)などの東大や長崎大の医学部における師弟関係にある集団である。
 日本学術会議、東京大学など日本の高等研究機関も、当初は彼らの見解を踏襲するのみで、何らチェックする機能も、被爆者や国民に正確な情報を届ける機能も有していなかった。朝日新聞など主要マスメディアも同様であった。
 原子力ムラという原発推進の既得権益集団・機関が存在することは、3.11以降ひろく喧伝され、電力各社、経産省など省庁、原子力委員会等の官僚組織、原子力関連研究者・・・など明らかにされてきたが、住民の健康被害に直接かかわり、被災地でも専門家として期待された自称科学者集団が、実は原発推進の隠れた当事者であったことを、筆者は改めて暴露したのである。

 専門家でない私にとって有益であり、本書を貫く問題と考えられるものは、100mSv以下の低線量被爆による健康への悪影響は有るのか否か、その分岐点は何程か、放射線の影響は低い値から高い値まで直線的に比例して増大するのか、ある一定以下では影響が見られない「しきい値」なるものがあるのか否かという点である。

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