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三土明笑『間違いだらけの靖国論議』(あけび書房、2023年7月)を読む
2023年8月8日 中野 毅
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今年も8月15日の終戦記念日を迎える日々が始まった。今年もまた首相や閣僚による靖国神社参拝がまもなく話題になることだろう。「靖国問題は今、鳴りを潜めた休火山のような状態だ。」との書き出しで始まる本書は、靖国問題とは何か、何だったのかをいま再考する上で時宜に適った一書である。発刊直後にご恵送いただいたにもかかわらず、ちょっと体調を崩したこともあって遅くなってしまったが、お礼もかねてご紹介したい。
経済学を専門とする著者が2005年、折からの靖国関連書出版ブームに助けられて、靖国神社に関する最初の出版『靖国問題の原点』(著者名:三土修平、日本評論社)を上梓されたが、それ以来、専門外ながらこの問題の評論家の一人として注目されている。専門外なのに靖国問題に関心をもった理由も興味深い。実は三土の祖父・三土忠造は戦前の政友会の幹部政治家であり、靖国神社の宗教法人化を決定した1946年1月25日の閣議に内務大臣としてかかわっていた。そのことが著者の靖国神社問題への強い関心を生み、その問題を解明することは孫としての責任感からだという(同書、251ページ)。
三土が『靖国問題の原点』で強調したのは、この問題には戦没者遺族の承認欲求、神社神道がもともともっていた「ムラぐるみの宗教」という性格、日本社会における「公」と「私」の独特のあり方、といった複数の要因がからんでいるため、憲法の政教分離規定の解釈論だけでは割り切れない複雑さがあって、そのあたりの事情を丹念に調べたうえでのきめ細かな対応が必要だ、ということだった。その根底には、憲法20条の「信教の自由」「政教分離」を重要性の認識があったことは言うまでもなく、かつ靖国神社が物議をかもす存在となっている根本原因として、1945年12月4日の神祇院副総裁飯沼一省と終連第一部長曽祢益とがGHQ宗教局長のウィリアム・K・バンスを訪問したときの発言―「祭神も最早新たに祭られることもないでしょうから」―に含まれていた「嘘」(本書第二部第一章で再紹介)を発見し、それら戦後改革の隠された真実をしっかり見破られねばならないと強調もしていた(同書第六章「靖国神社戦後改革の真相」)。
しかし、その後のマスメディアなどでの評価はステレオタイプ的左翼とは異なる「真ん中」的立場と捉えられ、何かと利用されることも多かったという。しかも、2006年7月の「富田メモ公表」以来、「筑波善玉・松平悪玉説」が優勢になり、読者層も出版社も靖国問題といえば「A級戦犯はいかにして合祀されたか?」という切り口を期待する傾向にあったため、その風潮に妥協した結果、「飯沼と曽祢がついた『嘘』こそが問題なのだ」という三土の主張のキーポイントが見えなくなっていった。
2022年6月以降、まとまった時間がとれるようになったので、仕切り直しをして新著をめざすことにし、半年以上の時間をかけて、国立国会図書館編『新編靖国神社問題資料集』(2006年3月)を精読することで見えてきたものをまとめたのが本書であるという(280-281頁)。実際、このA4版1200頁に及ぶ分厚い報告書を国会図書館に何度も通い、ここまで丹念に読み込んだのは、三土さん以外にいないであろう。それだけでも賞賛したい。私は幸運にも一部入手しているが、いまだに手に取って、その厚さと重さに溜息をついている。
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