2018-12-30
2018年12月23日(日)に恒例の東京大学宗教学研究室同窓会「嘲風会」があり、今年度で退官する市川裕さんの最終講義と忘年会があった。昨年の鶴岡賀雄さんにつづき、今年も大きな仕事をした市川さんの退官は寂しい限りですが、長年の功績と友情に感謝して参加しました。
忘年会でOGOBの挨拶となった際、宗教学との関連を鋭く衝いた鶴岡さん、ユダヤ研究を一般にも分かりやすく語って宗教学の有用性を世に問うべきと熱く語った井上順孝さんは、さすがに東大宗教学を牽引してきたお二人として参加者をうならせる挨拶でした。
これで終わりかと思いきや、その後に私が指名されて慌ててふためき、結局まとまりのない話をすることになりました。申し訳なかったと思っています。実は忘年会で日本酒を飲んでいたのですが、最近はめっきり酒に弱くなり、挨拶した際も少々酔っていて自分でも話がまとまらなくなっていたことを自覚していました。まともな祝辞にならなかったことを反省し、ここに改めて記したいと思います。
1. 市川さんの長年にわたる研究は、専門外なので勝手な印象ではありますが、信仰の弁証とも言える神学的研究や聖書学・旧約学ではなく、またユダヤ教の思想研究そのものでもなく、独特の「ユダヤ学」ともいえる地平に達したと私も感嘆の思いで捉えています。長年に渡って発掘調査も行っていて、イエス時代のシナゴーグの発掘など素晴らしい発見もされたと伺いました。その意味では近年盛んな聖書考古学の手法も使ってはいますが、そこに止まることなく、中世から近代までのユダヤ人およびユダヤ教の足跡を手堅く追っています。それらの意味で、市川さんの研究は「ユダヤ教を信じる人々の実証的歴史学的研究」と言えないか、従ってそれは確かに「宗教史」でもあり、「宗教学」でもあり、ご本人が語った「・」のない「宗教学宗教史」なんだろうなと私なりに得心しています。
この独自の「ユダヤ学」が構築できたのは、鶴岡さんが指摘したように、宗教学という学的環境があったればこそなんだろうと思います。ご自身の研究の方法論的特徴や理論については、さらに自覚的に追究されていくことを期待しています。
2. 本講義の中で、留学後の学問的経歴を@比較宗教学的研究(ユダヤ教と仏教、特に法華経との比較など)、A一神教の世界を再構築する(西欧キリスト教中心の世界史におけるユダヤ教史の通年を打破する)、B目下の課題としてのユダヤ思想(家)研究、とまとめていました。@の仏教思想との比較も興味深いものですが、今回、特に関心をひいたのはAでした。西欧近代的発想、近代主義の脱却や脱構築が近年主張されていますが、その点に市川さんの研究は大きな一石を投じるものだと改めて思いました。
9/11同時多発テロのあと、イスラムが世界(史)の大きな軸として浮上し、それまでの近代史、思想史が西ヨーロッパ(西欧)近代的なバイアスに覆われていたことが暴露されました。イスラムから見た世界(史)の重要性が認識されたわけですが、さらにユダヤ人・ユダヤ教からみた世界(史)を知る必要があることを改めて痛感しました。西洋中世もユダヤ人が多数生活したポーランドなど東欧に注目すべきこと、「遅れた呪術の巣窟」と思われたユダヤ人社会から近代には多くの天才(Marx, Freud, Einstein, etc.)が誕生し、近代をむしろ牽引していったことなどです。私はさらに、イスラムの誕生にもユダヤ人・ユダヤ教は決定的な重要性をもっていると考えています。メッカから逃れたムハンマドが初めてイスラム共同体を形成するのはメディナにおいてですが、そこにディアスポラしていたユダヤ人共同体が支援したことがイスラム誕生の大きな要因でした。のちにユダヤと決別しますが、コーランを読んでも旧約聖書なくして成立しないことは明かです。
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