2022-03-21
第2章で主にキリスト教が性を否定的に捉える理由を解説している。それは「原罪」の考えがあるからで、その発想は同じ一神教でも、母体となったユダヤ教、そしてユダヤ教の影響を強く受けて成立したイスラム教にはない。しかもイエスの福音書とされるものやパウロの書簡にもなく、つまり初期キリスト教にもその発想はなかった。原罪論を強調するようになったのは、教父アウグスティヌス(354-430)の影響だという。彼はもとはマニ教徒だったが、愛欲生活に溺れた末にキリスト教に改宗し、原罪を強調するようになったという。人間は誰もが生まれながらにして罪を負っている。人は罪人であり、あるいは必ず罪をおかす存在だという原罪論は、自己を反省する契機にもなるが、人間性を否定することでもある。そのような原罪の教義が公式の教義になったのはAD529年のオランジュ公会議においてであり、イエスが死んでから約500年も後のことである(56頁)。その背景には、初期キリスト教には「イエス(神)の再臨」は間近く、この世の悪が裁かれる「最後の審判」が行われるという観念が強かったが、いつまで経っても神は再臨しなかった。そこで教会の存在意義を強調するため「原罪」を強調し、それを許す「贖罪」の権能を唯一保有していることを「七つの秘蹟」の保持者=キリスト教会であると宣言し、存在意義を示したのである。
従って、その後は「贖罪」のための行為が重視され、十字軍への参加も贖罪のためとされ、また現在まで続いているカトリック教会における「告解」もそのためである。
第3章、第4章では主に仏教を扱い、3章は戒律の復興運動に力を入れ、真言律宗の事実上の開祖として知られる叡尊(1201-90)が、実は「破戒僧」の子だったことから筆を進め、仏教は出家者を主たる担い手としているため五戒を基本に具足戒として細かい禁欲的戒律が定められており、日本でも「僧尼令」(養老2,718年)で僧坊に異性を止めることを禁止したが、日本仏教界では破戒が広く行われていたことを描いている。
4章では原始仏典に遡り、スッタニパータに不殺生戒、不邪淫戒、不飲食戒など五戒が説かれているが、その理由はさほど明示されていない。それは釈迦以前のバラモンからの伝統でもあったためでもあろうが、仏教において「愛欲が人間苦の根本」であり、仏教教団における戒律制定の嚆矢をなすものはこの淫戒である等の説を紹介している。また仏教と並んで発展したジャイナ教においては不殺生戒と不邪淫戒が強く結びつき、妻との性交も女性器にいる微生物、細菌を殺す恐れがあるとして禁じる主張があるなど、その徹底ぶりには驚愕する(110-114頁)。
しかし、このような傾向が宗教一般に見られるわけではないと主張するのが本書の特徴でもある。第5章では性行為に価値をおく宗教として道教をあげ、エリアーデの論を活用しながら房中術を解説し、それら性の技法がインドの左道タントリズムが開発したヨーガの影響を受けていると指摘している(123頁)。この左道タントリズムがヒンドゥーのシヴァ派の一派で性力(シャクティ)を重視しており、オーム真理教が説いた「クンダリーニの覚醒」へとつながっていくことも明らかにした。
後半では、仏教における密教も性の快楽を肯定しているものとして説明し、中でも『理趣経』において性的欲望を全面的に肯定し、むしろ完全に清らかなものとされているという(131頁)。そしてこの理趣経を日本にもたらしたのが空海であり、最澄が貸して欲しいと求めたのに空海は断ったが、それは余りに過激な内容だったからだろうと興味深い説を述べている(132頁)。
総じて、密教は顕教における禁欲的修行では真の悟りには達し得ないとして、顕教の考え方を完全に覆す方法による悟りをめざした宗教であるという。
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