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本書は2019年11月2日(土)、神田学士会館にて開催された第16回南原繁研究会シンポジウム「今 南原繁を読む―生誕130年に寄せて―」における講演、パネル・ディスカッションを収録したものであり、講演者はイスラム学者の板垣雄三氏、宗教学者の島薗進氏、ディスカッタントには伊藤貴雄、宮崎文彦、晏可佳の各氏ほかが登壇している。
発刊直後にご恵贈いただき、部分的には目を通していたが、ここ数年進めている共同研究【「占領と日本宗教」再考―連合国のアジア戦後処理と宗教についての再検討―(仮)】の共編著出版のための原稿を仕上げるにあたり、全体を把握したいと読破した。いやはや、その内容は痛烈で濃く、久しぶりに感動したので、お礼もかねてご紹介したい。
南原繁(1889-1974)は、ご承知のように香川県で生まれ、1907年に第一高等学校に入学、1914年に東京帝国大学を卒業して内務省に入るが、1921年には東京帝国大学に戻って法学部助教授、その後、教授を経て、敗戦後の1945年12月に東京帝国大学総長に就任し、戦後の教育改革、新憲法の審議や講和問題などで戦後日本の建設に大きな貢献をした人物です。1945年前半の法学部長時代には、高木八尺氏らと英米を介した終戦工作にも携わり(本書136頁〜にも詳述)、「天皇の聖断」による戦争終結を主張したのも南原だったと言われています。
思想的には、一高時代の校長だった新渡戸稲造から大きな感化を受け、内村鑑三との親交によって無教会派クリスチャンとしてリベラルな論陣をはりました。フィヒテなどドイツ理想主義の研究を基礎に政治についての哲学的研究を進め、日本の「国体」の疑似宗教性を批判し、その成果を『国家と宗教』(1942年)にまとめました。
かの丸山真男も彼の弟子になるのですが、この南原繁を学問や思想、人生の師と仰ぐ方々によって、南原繁研究会は組織され、長年にわたって研究会やシンポジウム、出版を重ねてきた。それだけも敬意を覚えるが、この種の会がおおむね顕彰や賛嘆する類いのものが多い中で、南原の仕事、思索を内在的に捉え直すと共に、批判的学問的な検証も行うことにもやぶさかではないことが、本書によって示されている点においても、重ねて敬意を表したい。
講師二人の批判的検証はなかなか読み応えがあります。
講演1.板垣雄三氏は、南原が改革した新制東京大学の第一期生で、その後も30年以上東大で教え続けたイスラム学者であります。彼はキリスト教とイスラムの歴史と競合、教理的展開に詳しい立場から、南原の『国家と宗教』を読み直し、彼のヨーロッパ精神史の捉え方がプラトン/アウグスティヌス/トマス/ルター/カント/ヘーゲル/ニーチェの系譜からマルクス主義とナチズムを位置づけ、日本国家・民族の針路を考究するという、現代からすると余りに狭い西欧中心主義の視点に捕らわれている点、イスラム文明との関係性抜きにキリスト教や欧米社会文化の発展を理解できない点、また南原のキリスト教の理解もその多様性やユダヤ教などへの顧慮がまったく欠落している点などを驚くほど鋭く批判しています。
板垣氏の批判は、現在の学的レベルからは当然ですが、それだけでなく、当時すでに進展していた研究への目配りが足りなかったと、内在的批判になっているのが凄い点でした。
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